実存と構造をつなぐミラクルワード

こんにちは。

易徳大有です。

 

今日は前回の実存と構造の二項対立の続きの話をします。

 

あなたが何かの悩みや課題と直面した時、あなた自身を示す実存と、

あなた以外の存在である構造とを分離すると良いという話をしました。

 

まず分離することで、冷静に客観的に物事を俯瞰してみることができます。

 

次に持つ視点は、実存と構造をつなぐワード(言葉)を言語化し認識することです。

最初のワードは正直な感情のままの表現で構いません。

 

例えば、母親が子供の学校の成績が悪く、日頃からガミガミ勉強しなさい!

と口すっぱく言っているのに、言うことを聞かないで遊んでばかりいる場合。

 

この状況を俯瞰してみると、

悩んでいる母親という実存と、勉強しない子供の実存との「関係性」という構造があります。この実存と構造をつなぐワードはどんな言葉でしょうか?

 

正直な感情のままだと「ムカつく」「なんで馬鹿なの?」「将来が心配」などでしょう。

 

でもどんどん実存と構造を分離した状態で俯瞰してその状況を見つめると、

自分と子供は別の実存であり、性格も価値観も思考回路も全てが違う存在であることに

改めて気がついてきます。

 

その上で、その子の将来に本当に必要なことは何だろう?

と時間軸を5年10年先までズームアウトして俯瞰して見つめた上で、

新たにつなぐワードは、「長所を伸ばそう」「継続の価値」「良き師を見つける」

などに変わるかも知れません。

 

最終的に母親も子供もハッピーになれる「つなぐ」ミラクルワードを見つけ

ていけばいいのです。

 

ポイントは正解などないということです。

 

ある哲学者が残した命題に、

「言葉の意味は語られる文脈で決まる」というのがあります。

 

実は言葉そのものには意味はなく、それぞれの実存の思考する解釈に基づいて作られた、文脈というストーリー(物語)で意味が決まるということです。

 

実存<構造<言葉

 

人は誰しも置かれた状況は違っても、

実存だけで生きることもできず、構造に絡め取られ、振り回されるだけの

没個性のまま生きていてもつまらないものです。

 

JAMという歌の歌詞に「儚さに包まれて、切なさに酔いしれて」

というフレーズがありますが、人生は短く思い通りにはいかないことの方が、

圧倒的に多いものですよね。

 

だからこそ自分だけの「ミラクルワード」をたくさん見つけた人が

より充実した人生の時を刻むことができるのかもしれません。

 

泣いても笑っても一人の実存という「固定点」は長くても100年そこらで、

死という闇に絡め取られ、この世から消え去ります。

 

しかし男と女で紡ぐ新たな実存という「固定点」は、

血統という光の糸として何千年何万年と続く可能性があります。

 

あなたという「実存」は有限な存在ですが、

あなたが残したミラクルワードは、

あなたが愛したコミュニティという構造の中で、

あるいは人類の歴史という構造の中で、

 

永遠に生き続けるかもしれません。

 

ぜひ、日頃から意識的にあなただけのミラクルワードを見つける

チャレンジをしてみてください。

 

ポイントは、まずは感情のままのリアルワード。

次にgoodワードbetterワードbestワードへと認識を進化させる。

最終的にミラクルワードを見つける。

 

言葉の精度を高め続けどんどん上書きしてみましょう。

 

では今日はこの辺で、

またここでお会いしましょう!

 

Have a nice day!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実存と構造の二項対立

おはようございます。

易徳大有です。

今日はあらゆる物事を捉える時の大切な視点について書いていきます。

 

東洋哲学でいうと陰と陽という相対立する概念ですが、

人が自分ごととして物事に対する時、必ず自分と他者という二項対立が

存在します。そこで便宜上、自分の思考や価値観、アイデンティティなどトータルな自分ルールを「実存」と定義し、他者や社会などあらゆる自分以外の存在に備わるルールを「構造」と定義します。

 

改めてあなたの生活を成り立たせている環境を見渡してみてください。

実存と構造という世界でしか人は存在できないことに気がつくと思います。

 

そう、常に「あなた」という存在に対し、家族という他者が存在し、学校や職場や社会という他者が存在し、それぞれの持つ独自のユニークでバラエティに富んだルールが

密接に絡み合っていることに気付くと思います。

 

当然あなたの性格や思考や価値観とは違うものだらけです。

でも誰もが平等に、あなたと同じ構造を自分ごととして抱えているのです。

 

にもかかわらず、個人個人という実存の持つステイタスやステージは皆違います。

お金持ちもいれば貧乏な人もいます。

社長さんもいればペーペーの平社員もいます。

友人に恵まれている人もいれば友達0で孤独な人もいる。

健康な人もいれば病気の人もいます。

 

十人十色とはまさに良く言ったものです。

悩みや課題も、またその解決方法もそれぞれです。

 

違いがある者同士が接点を持ち関わる時、

当然ながら摩擦が生じます。

そこで人はその違いに悩むことも日常茶飯事でしょう。

 

そんな時に役立つ考え方の「コツ」を今日一つ覚えてくださいね。

 

今後あなたが何か悩みや克服すべき課題を認識した時、

このように分離して思考してみてください。

 

それは、この悩みは実存としての悩みか?

それとも構造からくる悩みか?と。

 

多くの人は自分の抱えているあらゆる問題を自分ごとゆえに、

自分自身と同一化しており、さらに同一視してしてしまっています。

 

例えば、もしあなたの自慢の愛車が誰かに傷つけられたとしたら。

あなた自身は無傷なのに痛みや怒りを感じないでしょうか?

あなたの大切な子供が誰かに傷つけられたとしたら。

あなた自身は無傷なのにやはり痛みや怒りを感じることでしょう。

 

これが実存と構造が同化している状態です。

 

しかし、第三者の視点から距離を取り俯瞰してみると、

実存と構造が分離して見えてくるはずです。

そう、これは実存から派生した悩みか、それとも構造から派生した悩みか、

常に分離して捉え直すクセをつけることを実践してみてください。

 

その辺が見えてくると問題解決の方法も絞れてくるでしょう。

 

実はそれが、このブログの壮大な目的である『自立命運』という

概念の理解に深く繋がっていくのです。

じわじわ繋げていきますので楽しみにしていてください。

 

では今日はこの辺で。

 

日曜日ですね。

あなたにとって楽しい一日でありますように。。

 

ではまたお会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生いつだってこれから! 自立命運への道

初めまして。

東京日本橋馬喰町で易徳庵(イトクアン)という運命鑑定所の代表をしております、

易徳大有(イトクタイユウ)と申します。

私事ですが、先月6月でいよいよ50代に突入いたしまして、
新たな人生の再出発の30年間を目指す記念すべきスタートとして、
改めてブログを始めることに致しました。

実存としての自己を振り返る場として、
また世の中に少しでも恩返しと言いますか、
社会という構造にも何か貢献したいなぁと考えています。

テーマとしては、
限りある今生を生きる人間としての、
真の『立命』とはどういう「在り方」を意味するか?

抽象的で大きなテーマですが『立命』を、
自立と命運という2つのワードに分解して、

関連する内容を日々思うこと気づいたことに絡めて、
書いていこうと思います。

まず『立命』というと京都の立命館大学をイメージ
される方も多いかもしれませんね。

そこで、わかりやすいので、
立命館大学のHPから少し引用させてもらい、
一般的な立命の由来をご紹介しましょう。

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立命』というのは中国の古典「孟子」の盡心章(じんしんしょう)の一節にある「殀寿(ようじゅ)貳(たが)わず、身を修めて以て之れを俟(ま)つは、命を立つる所以(ゆえん)なり」から採ったもので、「人間には、若死にする人もあれば、長生きする人もあるが、それはすべて天命で決められていることである。だから生きている間はわが身の修養(勉強)に努めて天命を待つのが人間の本分を全うすることなのである」という考えです。
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「人事を尽くして天命を待つ」

という言葉がありますが、
普通人間の運命は神のみぞ知る領域であり、
人には知り得ないものだから、
ただただ精一杯日々創意工夫し、
自分なりに努力することが大切だ!

まぁこんな意味合いでしょうか。

さて、私がこれからお伝えしたいのは、

この「人事を尽くして天命を待つ」
というある面常識的な文脈を、

「自らの天命を知り、最善の人事を尽くす」

というある面真逆で非常識な文脈に変換した形で、
トーリー展開していこうと考えています。

一般的には神のみぞ知るいう認識の、
天命という領域にメスを入れ、
まず初めに天命を知ることを「自立」と定義し、

天命を主体的に変換して運命を開くことを「命運」と
定義して、人生に革命を起こすことを目的にします。

これが次世代の常識になることを目指し、
チャレンジしていきます。

哲学的に表現するならあるコード(常識)をデコード(非常識)
して、新たな視点を持つといいますか。

弁証法で表現するなら、
ある考え方(テーゼ)に対し反対の考え方(アンチテーゼ)
を提示することで、両者の意見をアウフヘーベン止揚)し、
折衷案としてより高い次元の視点(ジンテーゼ)を生み出すみたいな。


運命学を30年ほど研究してきた経験と知恵が、
少しでもクオリティの高い人生構築を願う、
現代を生きる同志たちのお役に立てれば幸いです。

超面倒くさがりで、文章が苦手な私ですが、
少しでも長く継続できるよう頑張ります!

楽しみに読んでくださると嬉しいです。

では今日はこの辺で、
またこのブログでお会いしましょう。

あなたにとって学び多き良き日でありますように。。。