人生いつだってこれから! 自立命運への道

初めまして。

東京日本橋馬喰町で易徳庵(イトクアン)という運命鑑定所の代表をしております、

易徳大有(イトクタイユウ)と申します。

私事ですが、先月6月でいよいよ50代に突入いたしまして、
新たな人生の再出発の30年間を目指す記念すべきスタートとして、
改めてブログを始めることに致しました。

実存としての自己を振り返る場として、
また世の中に少しでも恩返しと言いますか、
社会という構造にも何か貢献したいなぁと考えています。

テーマとしては、
限りある今生を生きる人間としての、
真の『立命』とはどういう「在り方」を意味するか?

抽象的で大きなテーマですが『立命』を、
自立と命運という2つのワードに分解して、

関連する内容を日々思うこと気づいたことに絡めて、
書いていこうと思います。

まず『立命』というと京都の立命館大学をイメージ
される方も多いかもしれませんね。

そこで、わかりやすいので、
立命館大学のHPから少し引用させてもらい、
一般的な立命の由来をご紹介しましょう。

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立命』というのは中国の古典「孟子」の盡心章(じんしんしょう)の一節にある「殀寿(ようじゅ)貳(たが)わず、身を修めて以て之れを俟(ま)つは、命を立つる所以(ゆえん)なり」から採ったもので、「人間には、若死にする人もあれば、長生きする人もあるが、それはすべて天命で決められていることである。だから生きている間はわが身の修養(勉強)に努めて天命を待つのが人間の本分を全うすることなのである」という考えです。
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「人事を尽くして天命を待つ」

という言葉がありますが、
普通人間の運命は神のみぞ知る領域であり、
人には知り得ないものだから、
ただただ精一杯日々創意工夫し、
自分なりに努力することが大切だ!

まぁこんな意味合いでしょうか。

さて、私がこれからお伝えしたいのは、

この「人事を尽くして天命を待つ」
というある面常識的な文脈を、

「自らの天命を知り、最善の人事を尽くす」

というある面真逆で非常識な文脈に変換した形で、
トーリー展開していこうと考えています。

一般的には神のみぞ知るいう認識の、
天命という領域にメスを入れ、
まず初めに天命を知ることを「自立」と定義し、

天命を主体的に変換して運命を開くことを「命運」と
定義して、人生に革命を起こすことを目的にします。

これが次世代の常識になることを目指し、
チャレンジしていきます。

哲学的に表現するならあるコード(常識)をデコード(非常識)
して、新たな視点を持つといいますか。

弁証法で表現するなら、
ある考え方(テーゼ)に対し反対の考え方(アンチテーゼ)
を提示することで、両者の意見をアウフヘーベン止揚)し、
折衷案としてより高い次元の視点(ジンテーゼ)を生み出すみたいな。


運命学を30年ほど研究してきた経験と知恵が、
少しでもクオリティの高い人生構築を願う、
現代を生きる同志たちのお役に立てれば幸いです。

超面倒くさがりで、文章が苦手な私ですが、
少しでも長く継続できるよう頑張ります!

楽しみに読んでくださると嬉しいです。

では今日はこの辺で、
またこのブログでお会いしましょう。

あなたにとって学び多き良き日でありますように。。。