実存と構造の二項対立

おはようございます。

易徳大有です。

今日はあらゆる物事を捉える時の大切な視点について書いていきます。

 

東洋哲学でいうと陰と陽という相対立する概念ですが、

人が自分ごととして物事に対する時、必ず自分と他者という二項対立が

存在します。そこで便宜上、自分の思考や価値観、アイデンティティなどトータルな自分ルールを「実存」と定義し、他者や社会などあらゆる自分以外の存在に備わるルールを「構造」と定義します。

 

改めてあなたの生活を成り立たせている環境を見渡してみてください。

実存と構造という世界でしか人は存在できないことに気がつくと思います。

 

そう、常に「あなた」という存在に対し、家族という他者が存在し、学校や職場や社会という他者が存在し、それぞれの持つ独自のユニークでバラエティに富んだルールが

密接に絡み合っていることに気付くと思います。

 

当然あなたの性格や思考や価値観とは違うものだらけです。

でも誰もが平等に、あなたと同じ構造を自分ごととして抱えているのです。

 

にもかかわらず、個人個人という実存の持つステイタスやステージは皆違います。

お金持ちもいれば貧乏な人もいます。

社長さんもいればペーペーの平社員もいます。

友人に恵まれている人もいれば友達0で孤独な人もいる。

健康な人もいれば病気の人もいます。

 

十人十色とはまさに良く言ったものです。

悩みや課題も、またその解決方法もそれぞれです。

 

違いがある者同士が接点を持ち関わる時、

当然ながら摩擦が生じます。

そこで人はその違いに悩むことも日常茶飯事でしょう。

 

そんな時に役立つ考え方の「コツ」を今日一つ覚えてくださいね。

 

今後あなたが何か悩みや克服すべき課題を認識した時、

このように分離して思考してみてください。

 

それは、この悩みは実存としての悩みか?

それとも構造からくる悩みか?と。

 

多くの人は自分の抱えているあらゆる問題を自分ごとゆえに、

自分自身と同一化しており、さらに同一視してしてしまっています。

 

例えば、もしあなたの自慢の愛車が誰かに傷つけられたとしたら。

あなた自身は無傷なのに痛みや怒りを感じないでしょうか?

あなたの大切な子供が誰かに傷つけられたとしたら。

あなた自身は無傷なのにやはり痛みや怒りを感じることでしょう。

 

これが実存と構造が同化している状態です。

 

しかし、第三者の視点から距離を取り俯瞰してみると、

実存と構造が分離して見えてくるはずです。

そう、これは実存から派生した悩みか、それとも構造から派生した悩みか、

常に分離して捉え直すクセをつけることを実践してみてください。

 

その辺が見えてくると問題解決の方法も絞れてくるでしょう。

 

実はそれが、このブログの壮大な目的である『自立命運』という

概念の理解に深く繋がっていくのです。

じわじわ繋げていきますので楽しみにしていてください。

 

では今日はこの辺で。

 

日曜日ですね。

あなたにとって楽しい一日でありますように。。

 

ではまたお会いしましょう。