運命に仕掛けられた二重のトラップ(罠)

こんにちは、易徳大有です。

 

哲学の命題に「構造は実存に先立つ」という文脈があります。

 

以前の投稿に、

 

実存<構造<言葉

 

という力量関係の構図を書きました。

 

実存(私)は構造という他者や社会のルールにガッチガチに絡め取られており、

この枠組みからは誰もが逃れられないという現実があります。

 

そこで、多くの人は自由を得て自分らしく生きたい!

本当の自分を見つけたい!と抑圧された現実から逃れ、

カタルシスを得たいとパラノイア(妄想)の中に救いを求めるという

傾向性があるのです。

 

この厳しい構造の中で生きるという現実こそ1つ目のトラップ(罠)ですが、

実はもう一つもっと根源的なトラップがあるという事実についてお話しします。

 

それがまさしく人がこの世に誕生した瞬間、

そう生年月日時という生命の型式(命式)なのです。

 

赤ちゃんが初めて大気のエネルギーを肺で呼吸した状態というのは、

 

例えばパソコンで表現するとセットアップが完了し、

初めてインストールされたOSが起動した瞬間のようなものなのですね。

 

命式とは個人の性格の源泉ですが、要は一つの限定性を暗示しています。

好き嫌いやキャパシティが人それぞれ違うように限界性に差異がある。

 

その違いこそ個性という武器にもなるが逆に弱点にもなるというわけです。

 

まさに諸刃の剣というとろですが、

ここに第2のトラップ(罠)が仕掛けられているのです。

 

型とはパターンのことです。

 

個人のパターンを知る手掛かりとして、

 

個性学や性格学というジャンルがありますが、

心理学や統計学という曖昧さの残る切り口ではなく、

 

もっと実存(私)という存在そのものの型式(パターン)

を構造的に見極める全く新しいメタ視点の概念が必要なのです。

 

そこに肉迫するメタ視点からの論理展開こそ、

易徳庵が提供するメタタイプ論なのです。

 

サブキャッチは『認識の根幹を糾す』です。

あなたの常識を覆す新たな認識の領域が広がると思います。

 

ご興味ある方は是非一度お聞きになってみてくださいね。

 

では今回はこの辺で、

またお会いしましょう。