信念VS信念の二項対立

こんにちは、易徳大有です。

 

ここ数日お盆にしては珍しく雨が続いていますが、

みなさまいかがお過ごしでしょうか?

 

今日は72回目の終戦記念日ですね。

私事ですが、昼過ぎ大雨の中毎年恒例の靖国神社参拝に行ってまいりました。

母方の祖父が硫黄島で戦死し靖国の英霊として祀られています。

 

雨は一般の人々にとってあまり気分の良いものではない、

という印象かも知れませんが、易経の言葉を借りると「陰陽交わり天地成る」

という意味がありとても縁起の良い現象なのです。

 

私はうっかりミスで傘を忘れてしまいずぶ濡れになりながら、

英霊の方々はじめ全ての戦没者の方々のご冥福と、

世界平和と日本の更なる発展を祈って参りました。

 

さて今回は終戦記念日ということに絡めて、

信念と信念の二項対立というテーマで、

思うところを少しばかりお話ししようと思います。

 

信念とは重要な意思決定や対人対応のさい、

最も重要な決断の根拠となる要素です。

これは個人間のみならず、企業間や国家間においても同様です。

 

そう考えると例えば国家間の戦争についても、

善悪の二項対立ではなく、信念に基づく「正義」と「正義」

の二項対立ということになり、

 

信念に基づく、「善」VS「善」

 

という構図になるかと思います。

 

実は善悪という概念は信念VS信念の戦いの後、

勝った方が善、負けた方が悪という後付けの捏造概念というわけです。

 

個人間の争いから国家間の争いに至るまで、

あらゆる闘争が信念と信念の正義をかけた勝負の世界だということを

認識しておく必要があると思います。

 

この概念は恒久平和の礎を目指す宗教でさえ同じだという事を、

歴史を通し我々は認識せざるを得ません。

 

重要な視点は善悪の闘争ではなく善と善の闘争だということです。

 

信念の強さはその存在の魅力であると同時に、他の存在との摩擦にもなり得る。

諸刃の剣である事を自覚した上で、いかにして調和を図れるか。

 

更なる自己認識と他者理解の精度を高める、

意識の進化が問われている現代社会の課題です。

 

立命運への道、

一人一人の真の立命が急がれるところです。