運命の正体その2

こんにちは、易徳大有です。

 

今日も東京は暑いですね。

みなさんいかがお過ごしでしょうか?

 

さて、早速ですが今日は前回の投稿の続きをお話します。

 

少し振り返りますと、

実は運命とは一般的に言うような、

他動的でコントロール不能なものではなく、

自作自演のシナリオだという話をしました。

 

また、問題は自作自演にもかかわらず、

多くの人は現状の人生に不平不満を抱いており、

本当の自分を探し彷徨っているというところまでお話したと思います。

 

重要なことは、現状の人生こそ最も「自分らしい」という事実です。

 

この自己認識に矛盾が起きる原因は、元命式の構造にあります。

 

個別命式の詳細は運命鑑定を受けていただくか、

立命塾で学んでいただくしか真実を知る由はないですが、

ここでは簡単に自己矛盾を感じる理由についてお話します。

 

天命の暗号のところで、人の元命式を車のボディに例えた話をしましたが、

生年月日時の四柱八字の記号言語の中で、生日の干支が運転手である本人であり、

生月の地支がエンジン部分で他の7字の3倍のエネルギーパワーがあると言いました。

 

その他の6字もそれぞれ車体の色々なパーツを担当しており、

それぞれに役割がありスペックもみな違います。

 

要するに人間の運命自体が構造的にできているということなのです。

 

多くの人は、特に自分が価値を置くものを自己同一視する傾向があり、

そのものと自己同一化してしまっています。

 

例えば、あなたの大切な愛車を他人が釘でギギギィと傷つけたらどうしますか?

その車が高価で大事に大事に扱っていればいるほど、怒りまくると思います。

 

でもこれが他人の高価な車ならどうでしょう?

 

ああ、もったいない、可哀相に・・・。

とは思っても自分事として怒り狂うことはないでしょう。

 

また傷つけられる対象が愛する自分の子供や恋人ならどうでしょう?

気が狂うわんばかりに怒り戦い守ろうとするでしょう。

 

でも他人ごとなら、そこまでは感情的にならないと思います。

 

そう、人は自分ごとで愛着のある存在であればあるほど自己同一視し、

さらに自己同一化しているのです。

 

自分(実存)と他者(構造)は物理的には分離している存在です。

にもかかわらず、視点が変われば同一化してしまうのです。

 

さて、世の中で最も自己同一化しているものとはなんでしょう?

 

それは自分の人生=運命、そのものなのです。

あなたが幸せになろうと必死に努力し作り上げてきた人生シナリオ。

 

実は元命式という型式のスペックを知らずに走るのは、

車の取扱説明書も知らず、また人生という長いロードマップを走りながらも、

所々に示された信号や標識に気づかず盲走暴走しているようなものなのです。

 

いかに自分の思考と自分の運命というシナリオを分離し、

構造的に俯瞰して観れるか、が開運のカギとなります。

 

ということで、少し長くなりましたので今回はこの辺で。

またジワジワ運命の真実について話していきますね。

 

今日のポイントは自分自身という実存も構造的にできており、

運命自体も俯瞰して構造的にみる必要があるということを覚えておいて下さい。

 

ではまたお会いしましょう。