大道廃れて仁義あり 智慧出て大偽あり

こんにちは易徳大有です。

 

超久々の投稿になります。

 

さて、易徳庵も先月浅草橋に引っ越しまして、

立命塾も新立命義塾と名称を変え、いよいよ開講に向け走り始めます。

 

『大道廃れて仁義あり 智慧出て大偽あり』

 

これは老子の言葉の一部です。

 

大道という無為自然の道を忘れ、人為的な道徳の道が生まれてしまった。

というような意味ですが、

 

人間の住む世界は自然界の調和のとれた、在るが儘の姿ではなく、

道徳や法律といった規範に縛られた、

ある意味権力者が大衆を管理しやすい構造世界となっています。

 

人の世には秩序を保つためのルールは必要ですが、

いつの時代でも力ある者が自分達に都合良い嘘のルールを作り、

都度大衆を騙しルールを書き換えてきた事もまた事実です。

 

優勝劣敗という競争社会において学歴至上主義や能力至上主義といった、

至上主義のもたらす格差社会の光と闇は根深いものがあります。

 

しかし十人十色というように、様々な個性や人種が共存する地球星です。

誰もが自由で満足の行く人生を構築したいと思うのは当然のことです。

 

今ほど人々が共生共栄出来る新しいコンセプト(概念)が必要な時代はありません。

真のリーダーが出現することを期待したいところです。。

 

とは言え我々庶民も何もしないで救世主を待つばかりでは能がありません。

私たち一人一人が努力進化して行く必要があるのです。

 

そもそも国家や社会が如何に大きくとも、

その構成単位はあくまで個人です。

 

今こそ真の個人主義の確立が必須と考えます。

 

ただし誤解してはならないのは、

個人主義と利己主義は全く別物ということです。

 

利己主義とは自分さえ得すれば良いという概念ですが、

真の個人主義とは自己修養と他者支援を心得た者という意味です。

 

似て非なるもの、類似と差異を見抜く柔軟な思考も必須のスキルです。

 

真の個人主義とは真の立命と同義となります。

 

そこでいよいよ新立命義塾の登場です!

 

 大道廃れて仁義ありから、大道を知り仁義を活かすへ。

 

智慧出て大偽ありから、 智慧を出し合い大義に生きるへ。

 

人事を尽くして天命を待つから、人事を尽くして天命を活かすへ。

 

対立から調和へ向け共に学びを深めていければ幸いです。

関心のある方はお気軽にお問い合わせ下さいね。

 

ではまたお会いしましょう!